【当会発足に至った背景と経緯】

 

[背景]

 ヘイケボタルは昔の水田ならどこにでも居た生き物です。ゲンゴロウやドジョウ等と共に、長野県の農村部ではどこにでも、「腐るほど」居た存在だったそうです。現在、孫・ひ孫持ちの年配世代は皆さん、「折り取ったネギにホタルを入れて持ち帰り、自宅の蚊帳に放して楽しんだ。」と、懐かしく語ってくれます。

 

 1匹でも目立ち強い光を放つゲンジボタルは、貴族的存在のためか、人気で川の汚染回復と保護により復活しつつあります。一方、ここ340年の間にヘイケボタルは、庶民的存在のためか、殆ど心配されず、あっという間に、あちこちで激減してしまいました。「長野県レッドデータブック2015年版」では、トノサマガエルと共についに準絶滅危惧種に名を連ねました。

 ヘイケボタルの激減は、戦後の農薬の影響に加えて、水田の機械化=圃場整備が大きく影響しています。「自然豊か」と思われている長野県でも、現在、松本平の水田地帯に昔のようなヘイケボタルが自然に生息できる場所は滅多に見当たらなくなってしまいました。

 

[経緯]

 上記の「激減」時期終盤にあったヘイケボタルの生息地ですが、2002年より始まった庄内土地区画整理事業の工事で29ha強の水田・用水路が一気に無くなる寸前の地元に、からくも残っていたヘイケボタルの棲む土(つち)土手水路(の環境)を「長年培われた地元の財産として、未来に残したい。」と呼びかけたのが発端で、唯一用水が引ける小さな公園予定地への、土草泥と生き物の丸ごと移転が実現(200311/7)。土地区画整理事業の完了以前に市の公園予定地への移転と整備が実現したのは、松本市の担当課の特別な理解が得られたおかげでした。

 移転時から整備前まで有志で現地の環境維持を細々と実行していたのではありましたが、整備前から水路の将来を共に考えてきた仲間が母体となり、整備後も「現地が地元のホタル水路として、永く愛され存続する」場所になる事を目指して当会を立ち上げ、本格的な環境再生に向けて維持管理を開始したのでした。